2018年02月15日

草々の力。

河原を歩く。
野火焼きを撮影しておこうと赴いたが、昨年以上に雪が残って、今年もほとんど火がつけられなかったようだ。
_MG_1508_1.JPG
寒さや雪のせいで鳥は少なくなっているのかなと思っていたが、そうでもない。

_MG_1394_1.JPG
ガマの一種。

_MG_1393.JPG
イヌコウジュ。

_MG_1390.JPG
ツリガネニンジン。

_MG_1292.JPG
チガヤ。

_MG_1144.JPG
アメリカセンダングサ。

_MG_1293.JPG
エノコログサのなかま。

_MG_1361_1.JPG
ススキ。

_MG_1347.JPG
ノハラアザミ。

_MG_1358.JPG
マメ科の一種。

_MG_1314_1.JPG
ヨシ。よくホオジロが穂先に止まって嘴でしごいて食べていた。

_MG_1378_1.JPG
カワラケツメイ。

_MG_1366.JPG
ヨモギ(のなかま)?

_MG_1396_1.JPG
ナギナタコウジュ。花はこれらのなかでいちばん最後に咲かせていた。

目につくだけでも、これだけの種の実りがある。

湿地、森、草原にくまなく生える多様な草が、いろいろな命を支えている。
なんでいつも来ているんだ、と地元の農家の方々に思われつつ、なんでもないふつうに生える草々を見て、そんなことを感じ続けている。


posted by t at 12:00| 録音行

2017年11月27日

クイナの「存在の確認」の習性について

_MG_1151.JPG
いつもの川のヨシ原へ。
_MG_1182.JPG

目的の場所は水量の関係で入れなくなっているので、対岸のようすを探ることにした。この時期は草が枯れて、藪の中も割合自由に入ることができる。

藪が繁っているときには気づかなかったが、用水路の一部に溜まりを見つけた。こういう場所は大好き。ようすを見に降りる。
_MG_1152.JPG
水温の上がったよどみにアブラハヤの稚魚たちが群れている。
_MG_1155.JPG

日没時ならクイナが鳴きそうだと思いを馳せていると、そうそうにすぐそばで鳴き始めた。

彼らの居場所に近づきすぎたようだ。警戒の合図だろう。

毎度のことながら、申し訳なく感じつつ、その声を録音させていただくことにした。

しばらく鳴き続ける。

するとよどみの対岸のヨシ原内で、「ファササ」という翼を震わせる音がし始めた。 シジュウカラなどがそのなかで食べ物でも探しているのかと思ったが、姿が見えない。音は地面近くからしていて、定期的にするようになった。



そして、目当ての鳴き声もやみ、録音機を止めてまたじっと待機。すぐそばで鳴いているので姿を見たい。リップシンクロした状態で録音したい。

その間、そういえば、さっきの羽音は、ヤマドリが出す警戒信号の羽音に似ている。と、ひらめく。

一羽の警戒の鳴き声が長らく続いたので、それに呼応するための「存在の確認」用の音ではないのか?と思い当たる。

帰宅して過去の生態図鑑にあたってみる。しかしそれといったようなことは書いてない。

ただ、クイナ科の属するツル目にはもちろんツル類が含まれていて、それらはディスプレイのときに翼をよく用いる。

クイナの場合、見通しの悪いヨシ原のなかで過ごすので、つがいや群れの相手とのコミュニケーションのためによく鳴く。声も多様だ。ツル同様、コミュニケーションに翼を用いることもあっていいように思った。

声の多様性という点でいうと、この日は、クイナのさえずりと思っていた声も録音できた。春、湿地で鳴き続ける声を録音したことがある。お腹を響かせるような低音部と通常の声で出す高音部を重ねて出す鳴き方だ。

秋にも鳴くということは、いわゆる「なわばり宣言」、「求愛」ではなく、相手とのコミュニケーションに使う鳴き方なのだろうか。あるいは「プラスチック・ソング(Plastic song)」ということだろうか。

そもそも、クイナの場合は見通しの悪いヨシ原のそれも地面にいる鳥なので、音による「存在の確認」方法が高度に発達し、「さえずり」に昇華している、あるいは昇華途中ということも考えられる気がする。

_MG_1160.JPG
鳴いていた場所に残されていた足跡。足ひれがないのでバンやカイツブリではないことがわかる。

_MG_1300.JPG
穏やかに暮れゆく初冬の一日だった。





posted by t at 12:00| 録音行

2017年10月03日

季節の移ろい。

昨冬来、見続けている河川敷のフィールド。

ホオアカ、オオヨシキリは穂先にそっと出てくるだけになり、やがて姿も消してしまった。

ニュウナイスズメの群れがやってきて、軽やかな声で鳴きあっている。

いっとき、大きかったカワラヒワの群れも、小さくなった。
ノビタキ、トケン、シギの仲間などが立ち寄っていった。

ヒヨドリやイワツバメの群れも通り過ぎていった。

訪れるたびに、出会う鳥、出会い方が変わっていく。

日没のヨシ原にクイナの声が響く。すでに北から帰ってきたようだ。


_MG_0861.JPG
朝日を浴びて草原が金色に輝く。

_MG_0820.JPG
色褪せ始めた藪。シカ食害に辟易しているので、最近、由緒ただしい藪を見ると妙に安心する。

_MG_0882.JPG
淡いピンクがかわいらしいミゾソバ。

_MG_0890.JPG
日が昇り、体を温めるアマガエル。慌てて出てきたのか、まだ保護色に変身できてない。

_MG_0837.JPG
ヤマハギが小さな実を結び始めた。冬鳥の食事の準備を進めてくれている。



posted by t at 00:00| 録音行

2017年08月10日

日光地域のセミ分布の変化

確か、まだソニーのPCMデジタル録音機系をもってなかったときなので、かれこれ10年以上前になっていると思う。この時期になり、鳥のさえずりは少なくなってしまうので、セミの声や水音などを録るようになっていた。そのころ、毎度の録音フィールドだった場所では、ヒグラシがよく鳴いていた。日光山地のすそ野部分、標高は760mほどの場所だった。アブラゼミ、ミンミンゼミは鳴いていなくて、それらの声は、標高を100mほど下げないと聞くことができなかった。自動車の窓を下ろしたまま坂を下って、そのことについて実際に聞いて教わった。
このわずかな標高差のうちに、平地性のセミにとってのなにかしらの境界があって、生き物の適応性、すみわけが生じていることを面白く感じていた。
その後、日光山地の各所へ録音のためにしつこく通うようになって、たしか2000年一桁代の中盤から後半にかけてのころだと思うが、中禅寺湖畔でミンミンゼミの声を聴いて、驚かされたことがあった。山すその700m付近に、すでに生息限界があったのに、それを飛び越えて標高1200mほどの場所にいたのだ。このころ、地球温暖化問題が多く取りざたされていたので、その現象のひとつなのだろうかと思っていた。あるいは、北海道の、とある温泉地にミンミンゼミが限定的に生息しているように、一帯にもなにか温かい要素があるのかもと思って面白く感じていた。
しかし、そんなのんきなことは言っていられない。2015年には、奥日光三ッ岳の斜面でミンミンゼミの鳴き声を聞くことになった。標高は1500mほどもある。この年は、中禅寺湖西岸にあたる千手が浜でアブラゼミの声も聴いた。やはり標高は1200mほどある。さらに、湯元温泉でもアブラゼミが鳴いていた。標高は1600mもある。
この前後の年には、ヒグラシやエゾゼミしか鳴いていなかった山すそ地域でも、ミンミンゼミ、アブラゼミの声が聴かれるようになっていた。ミンミンゼミにいたっては、9月の下旬になっても鳴いていた。今年ももちろん鳴いている。この地域に限っていうならば、生息限界を100m高くしたことになる。
これらはいったいなにを意味しているのだろうか。
山すそ地域から町のなかに出ていくと、体感温度は一気にあがる。これは標高差だけでなく、アスファルトやコンクリートの蓄熱、輻射の作用によるものだと感じている。山すそ地域でも、アスファルトの上に出ると温度がやはり違う。
山すそ地域でいうならば、地球規模の温暖化によるものなのか、日光市街地での小規模でのヒートアイランド現象が発生しているのか。
あるいは、シカの増加によって林床の植生が変わって、地面が露出することによって地面の乾燥化、あるいは蓄熱、輻射効果の変化が起こっている、というようなことも考えられるような気がする。
しかし、奥日光でのミンミンゼミ、アブラゼミの出現はどう考えればいいのだろう。やはり地球温暖化の影響なのだろうか。シカ増加による地表の変化なのだろうか。奥日光の昨今の賑わいを見ると、あるいは自動車の通行量増加による熱量の変化なども考えられるのかもしれない。
音風景がまたひとつ変わっていく。


posted by t at 19:23| 日光

2017年06月26日

ツバメのねぐら。

過去の自分の録音に励まされた。
放置録音に甘んじず、夜駆け朝撃ちを繰り返していた。
あの感覚を取り戻すべく。

前日に放置録音を仕込んだ、広大な河川敷で、自分の耳で実際の音の状況を確認しておくのもひとつかと思ったが、今年見つけた小流のヨシ原で夜明けを迎えることにした。

_MG_9504.JPG
土手を上がる。目の前でツバメの声がする。暗くてわからないが、声が移動しないので、おそらくヨシ原のなかで鳴き続けている。


夏の盛りを過ぎるころ、大きなヨシ原へ通い続け、ツバメのねぐらでの鳴き声を録音しようといろいろ挑戦したことがある。

数千羽、いや万単位の群れに出会うことができるものの、あまり強く声を出さないので、芳しいデータを得られていなかった。

そもそも、飛び交うときは短くチュビと鳴くが、ねぐらに入ってしまうと鳴かなくなってしまう。


この前の週は、巣立ちの家族群が夕方飛び交うようすを見ていたので、おそらくそれらがねぐらに降りた状態なのだろう。

しかしなぜ、晩夏のころと違い、このように盛んに鳴き続けるのか。

突然土手に現れた自分に対し、親鳥が警戒の意味で鳴き始めたのではないだろうか。時期からいって、まだ幼鳥と行動を共にしていて、「へんな奴がいるから注意しよう」という号令なのだと思う。

手元の感じもうっすら見えるようになると、もう一羽も鳴くようになった。

家族群のようすを想像しつつ鳴き声を翻訳してみると、雄「こんな暗いときにへんな人間が来た。しばらく様子を見ような」。雌「まだあの人間がいる。しつこいわねえ。早くどこかにいかないかしら」。

そんな感じだろうか。

大群のねぐらの夜明けも見たことがあるが、そのときは薄暗いときから三々五々、ねぐらを飛び出していた。今回は、薄明を迎えても、ヨシ原のなかにいたままだった。

あの鳴き声の元には、今年巣立った幼鳥たちがいる。

前日、子を残して夭折したひとのニュースに接した。人間も鳥も、次代の子を思う気持ちは、本能として根源的には変わらないのかもしれない。

そう思うと、せつない。


posted by t at 20:44| 録音行